反応のモデリング
自分をウォッチしていて、人間の活動に関するモデルを考えた。人は、何かの刺激に対して、瞬間的に行う判断がある。まずは、それが「危険か安全か」。そして同時に、その刺激に対して「受容するかコントロールを試みるか」。かなり原始的だけど、本人も気づかないほど瞬時にこの判断が行われているような気がする。喜怒哀楽を、それに従って整理してみた。この喜怒哀楽に乗っかって、感情が続き、そのあとそれを理屈づけるフェーズに入る。ある情報に対して急に怒る人というのは、瞬時に危険を察知し、そしてコントロールを試みる体勢に入る。そして、何らかの理屈で怒り始める。典型的な状況として、自分に対して不利になるであろう情報のインプットに対して怒る人というのがある。守旧派の上層部であったり、まあその他いろいろ。そして重要なことは、危険を察知してコントロールしなければいけないから怒り始めたのであって、別にインプット情報が間違っているから怒っているのではないということ。つまり怒っている人はいろいろ理屈付けして怒っているように見えるのではあるが、それは後から貼り付けた理屈であって、要は状況の排除を本能的に行おうとしているのみ、みたいな。うーん、身に覚えがあるぞ。
文章における空気感
この文章が好きだ。
私は以前、このウェブサイトを好意的に紹介した。しかし、こんなの税金の無駄使いだ、という意見も、理解できる。99%の国民は、このウェブサイトを見ないに違いない。だから、廃止したって不都合はないだろう。同じ金額を使うなら、マスコミへの情報提供を強化する方が、よほどいいかもしれない。
が、それはそれとして、このウェブサイトが有用であることは疑いがない。税金を使って行われている事業の少なからずが、このような種類のものだ。政府広報オンラインを見たおかげで、正しいインフルエンザ対策を実行でき、命が助かる人がいるかもしれない。それでも、これは税金の無駄使いかもしれない。
だから、事業仕分けは難しい。
(事業仕分けと無理な注文)
なんで好きなのか。内容に同意したからというわけではないように思う。なぜだろう。よくわからない、なので、とりあえずわかるまで置いておくことにした。
プレゼンスタイル
大ざっぱに言って、プレゼンには二種類あるように思う。ひとつは、演説(しゃべり)が前提としてあって、その補足としてスライドを作っている形式。文字が少なく、絵が多いスライドができあがることが多く、みんなが「素晴らしいプレゼン」と思うのはこちら。ジョブズプレゼンとかもそうなのかもしれない。もう一つは、資料が先にあって、それを説明するためにしゃべるというプレゼン。極端に言うと、資料を読み上げるだけ。企業で一般に見られるプレゼンは、こちらで、あまり人気はない。
この二種類はただし優劣で決まるものではない。これは、決裁権者が目の前にいるかどうかの違い。決裁をする人が目の前にいるなら、その人を説得しさえすればいいので、伝えたいことがその場でもっともエモーショナルに伝わればよい。したがって、演説メイン、スライドはおまけ。しかし、多くの企業では、担当者がプレゼンを聞き、持ち帰って上申するので、その場で担当者だけ納得しても仕方がなく、上申したり、持ち帰って部長なりに説明をしなければいけない。このとき、資料は詳細である方がよい(話者によって内容がぶれることは好ましくない)。プレゼンスタイルというのは決裁スタイルの裏返しなので、その場に適したやり方で考えるのがよさそう。
食事に対する考え方
ダイエット関連の話を聞いていて、なるほどと思った話。
「食事というのは、その後の活動を行うために補給をする行為だと考えること。だとすれば、夜、これから帰って寝るだけなのに補給をするというのはおかしい話。だから、朝ご飯と昼ご飯をたくさん食べて、夜ご飯を少なめにする。お腹がどのくらい空っぽか(=お腹がどのくらいすいているか)ではなく、今後のためにどのくらい補給する必要があるか、という観点で考えること。」
なるほど、夜まで全く食べないで、お腹がすいてたくさん食べるということが間違いだとよくわかりました。
えっと何だったか選手権
がんばれば「ああ・・・」と、読めるのだけれど、ささーと読み流していると必ず引っかかってしまう漢字というのがある。個人的に「それは変換せずひらがなにしといてくれ!」的な。
- 俯く(うつむく)
これは、うなずく(頷く)と間違えやすい。
- 歪(ひずみ)
最近なんだか見かけるようになった。これが出てくると確実に目が止まる。
- 先ず(まず)
これを使う人は、「〜では無い」という漢字変換もよく使っている印象がある。
- 躓く(つまづく)
わりとよく見るかも。挫ける(くじける)とごっちゃになっている。
- 喚く(わめく)
ひらがなのほうが迫力がある気が。嘶く(いななく)とごっちゃになる。あと呟く(つぶやく)とか。
- 目出度い(めでたい)
そこまで変換せんでも・・・という感想が出そうになる
- 一寸(ちょっと)
これもなあ。「ちょっと」でよくね?どうみてもいっすん。
- 頷く(うなずく)
さっき出てきたうつむく(俯く)とごっちゃに。
- 何れ(いずれ)
めったに出てこないが、出てくると1秒くらい考えてしまう。
- 拘る(こだわる)
これ、よく見かける。ネガティブな方のこだわるを連想してしまう(たぶん、拘泥から影響されてる)。
どれを変換するかというのは、個人の趣味もあるので何とも言えないが、自分が手書きの時に書かない言葉は打たないという原則を誰かから聞いてそれを参考にしている。
駄話
北欧には、いわゆるコーカソイド、特徴として金髪が多く目の色も薄い人が多い人種が多いのだとか。北欧地域の特色として、日照が弱く、そのへんが肌が白くなったり色素が薄くなったりした遠因ではないかといわれているようだ。
ところで北欧系のインテリアってずっと地味に人気がある。パステルカラーが多くて、あんまりコントラストが強くない。角丸っていうのか、基本直線なのだけれど、角は丸くしているようなデザインもよく見かける。こういうものって、北欧に住む彼らの色彩感と関連があるのかもしれない。コントラストが強いものとかは、彼らの色素が薄めの目にとってはギラギラしてうっとうしいのかもしれない、それでああいうデザインになったとか。
それでいうと、日本の伝統的な絵とか割とコントラストが強いものもある。赤とか金とか黒とか。あとインテリア、っていうか光の取り込み方も、陰影が強いなあと感じるものも多い。このへんは日本人の目が黒に近いことと関連があるだろうか。
しかしなぜ北欧系インテリアは人気があるのだろうか。日本人の目が薄くなってきたわけでもないし。直接関連がないけど思い当たるのは、森ガール系とか女の子メルヘン写真とか。淡い色遣いが特徴的だったりする。前もどこかに書いたように思うけれど、これは広告が世の中に氾濫しすぎた影響かもしれない。広告は、目立たなければいけないので、淡い色遣いで地味に展開したりしない。商品のパッケージとかもそうで、競合が激しくなればなるほどどぎつい色をコントラスト強く配置する傾向がある。特に商品パッケージは、店頭最適化されたものが多いので、家に持ち帰って置くと非常にうっとうしい存在になる。こういうものにみんな疲れているのかもしれない。作っている人さえ疲れている。
商品・商品パッケージに関しては、オリジナルショップを量販と別にたてることで逃れることができる。無印でもユニクロでもIKEAでもマリメッコでもなんでもいいのだけれど、ああいういわばオンリーショップがある意味は、スーパーみたいな雑多な店頭における店頭最適化のデザインを避ける意味合いも持つ。シリーズとして意味を持つデザインをして、世界観を売る。その手の店にいくと、自分の家をそれで一式そろえたくなる魅力がある(Appleストアとかもそういうところがあるかな?)。
スーパーや家電量販店では個別商品が存在を主張してしのぎを削っているけれど、一つ高いレイヤーで、シリーズ(ブランド)どうしがオンリーショップという枠を持って互いに競合している。だから、オンリーショップの商品は滅多にスーパーや量販に卸さない。個別商品を分けて卸しても意味をなさないからだろう。とはいえ、消費者との距離の近さというのは重要なので、その点では量販店やスーパーに有利な部分もある。
たまにデザイン優先の、極端に空白の多いお茶やコーヒーのパッケージがあったりするけれど、コンビニやスーパーで売っている限り意味をなさないのだろう。