新人教育がつまづいている例

こういう例、よく見る気がする。

  • 上司:基本的なことをやらせてみて、それが十分以上にできているようならその具合を見てレベルの高いものを任せる
  • 新人:基本的なこと以上のことができると思っているので、基本的なことをやらされてもあまり真剣になれない

結果として、真剣にできていない基本的なことがあまりうまくいかず、上司は「まだ任せられない」と思い、新人は「こんなのをいつまでもやるのか」と悩む。上司が新人を見くびっていると考えるか、新人が最初から高くを望みすぎると考えるか。個人的には、これは二人のコミュニケーションの問題だろうと思うのだけれども。

GT-R、ガンダム、戦う女の子

華奢な女の子が大きな剣を持って戦うことに多くの人がおかしいと思う、屈強な男を主人公にすべき的な意見が海外で出ているという記事を見た。たしかにおかしい。それでいうと、日本で生まれるロボットの発想もおかしい。戦うことに最適化したロボットが人型である必要はない。GT-Rもおかしい。今でこそスポーツカーらしい姿になってきているが、もともとセダンであったスカイラインにでっかいエンジンを積んで、いろいろスポイラーとかくっつけてかなり不自然な姿に見える。これは、ランエボインプレッサWRXについても同じだ。
要するに、目的合理性が感じられないということだ。もともと別の目的でつくられているもののカタチや構造をそのままにしながら、無理矢理、別の目的に向かって作り替える。目的に手段が従うのではない、手段を温存して、目的に無理くり合わせていく。おかしいのだけれど、この発想は何かおもしろいものを含んでいると思う。

強み

日本は何でダメか、というのはさまざまな分析を見る。しかし待て、日本は何がすごいかということをもっと掘ってもいいのではないか。というのは希望を持ちたいからということではなくて、もし自分が他の国に生まれたら、大して条件も良くなさそうなのに、しかも不況だけど経済力をまだ保持している国には一体何があるのかということを気にするはずだから。勤勉とかものつくりとか、まだ漠なことしかわからなくてもやもやしている。
強みで精一杯勝負するというわけにはいかないのだろうか。キャッチアップしかできません、というなら、猛烈にキャッチアップすればよいのではないか。Googleだけじゃない、世界のベストプラクティスを死ぬ気で集めまくって、徹底的にスピード重視で世界一キャッチアップとか、無理なのかな。
日本に関しては、ときにガラパゴスと言われる徹底した「内輪ノリ」がヒントじゃないかなあと思う。この内輪ノリに指向性が与えられると、いくらでも過剰に突っ走る。この指向性の調節と、あと過剰に突っ走ったときに偶然ながらも生まれる可能性、これの拾い上げがポイントであるように思う。日本なりのこういうマネジメントとか、なんとかならないものか。
ビジョンを掲げて目的思考で、ここが独立して動いていくというやり方というのも当然あるけれど、あれだって結局は偶然性(すごいビジョナリーがまれに出てくること)に賭けているところがあるわけで、どうせある程度確率的な成功なら、集団のノリで偏執的に突き進んでいく方式の賭け方というのもありそうだが・・・

なにがほんとうか

某リサーチ系の人と話したけれど、「なにが本当なのか」というのを見極めるのは、かなり難しいねというのがあって、これはかなり共感できた。リサーチをやるときには、対象者に聞くというのが一般的にはあるのだけれど、実際に感じたことを対象者が覚えてなかったり、覚えていても気づいていなかったり、気づいていてもうまく言葉にできなかったり、言葉にできそうでもそれをしたくなかったりと、いろいろとノイズが入ってくる。その結果出てきたリサーチの内容のどこを本当のものだと考えるか見極めなければいけない、でもそれはかなり難しい。
不完全ながらもいろいろ手法はある。言葉を介して聞かないというのが複数あって、行動データからだけ読むとか、深層意識探るとか、まあたくさんあって興味深いのだけれど、なんていうか根底にはジゴロ的感性が要求されるような気がする。
ジゴロ的感性というのは、「こいつはこういう風に言っているけれど、実は○○なんであって、それをこういうふうに表現しているんだよ」みたいなもの。ジゴロは女性の発言をそのまま受け止めない。言葉に含まれるノイズを除去していって、結局どう相手が感じているのか推測し、それに基づいて行動を起こす。それがズバッとはまって、相手の女性は感激する、みたいな。ただジゴロ的感性というのはビジネスの意志決定には乗らない(だってそんなの個人の見解でしょ?になる)から、そこらへんをうまくどうやるものか試行錯誤が続いている。
最近は、まず自分をジゴロ的に読み解くことを考える。なにか自分に感想やら意見が出てきたときに、もとの感覚からどうノイズが乗っかってこういう意見として表出しているのかというふうに考えていく。たいていの場合、プライドがノイズとして乗っかっていて、その背景には「こういうことにしておかないと自分にとって都合が悪い」という考えがあり、その背景には防衛本能というか、今までの自分を否定しないように情報を(ほぼ無意識に)解釈しているというのがある。本能が正しく働いている。あるいはそこまで意地が悪くなくても、なんだかよくわからないという状態に耐えきれなくなって、適当な解釈を知っている範囲で乗っけてくるというのをよくやっている。
最先端領域の試行錯誤がうまくビジネススキームとして成り立つまでにはもう少し時間がかかりそうだけれども、自己分析の視点としておもしろいと思った。心理学方面の人とか、こういう興味がまずあって取り組んでいそう。

まずは引いてから押す

あまりにも有名な、林先生のこの文章。不思議な迫力があるが、思考の筋としても見るべきものがある。

事実がこのメールの通りだとすれば、あなたのおっしゃるように、弟さんは統合失調症の可能性があると思います。
しかし、どうもこのメールの内容は解せないところがあります。
弟さんが統合失調症で、あなたに対して何らかの妄想を持っていると仮定しますと、ここに書かれているように、あなたの行動を監視し、いちいちそれに合わせて嫌がらせをするという手の込んだ形は、ちょっと考えにくい行動です。
しかも長い期間に渡ってあなたがそれを無視してそれなりに生活をされているというのも想像しにくいところです。
そして、「○○が自分の行動を監視し、いちいちそれに合わせて嫌がらせをする」というのは、統合失調症の方の典型的な被害妄想の訴えでもあります。
まさかとは思いますが、この「弟」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。もしそうだとすれば、あなた自身が統合失調症であることにほぼ間違いないと思います。
【1087】家の中にストーカーがいます

いったん、投稿者の前提(弟がストーカーである)を受け止める。ここ、まずポイント。そして、その前提を受け入れた上で、「だとすると〜なはず」と論を展開し、その矛盾を指摘する。そして、別筋の説得力のある一般仮定(被害妄想→統合失調症)を持ってくる。そして、それに投稿者の状況を当てはめて仮定して見せた上で、結論を持ってくる。(実際は、この後、それ以外の可能性も指摘した上で、それでもなおこうである、と出口を閉じている)
単に否定するのではなく、相手の意見をまず受け入れるうえで感情的な反発を防ぎ、かつ理論としても一般論が入ってきているので反論しずらい。議論のお手本みたいで参考になる。

カーデザインリバイバル

ここ数年、初代や昔の形をデザインモチーフにした新型車が発表されていて、気になっている。比較してみた。

  • HONDA EV-N(モチーフ:N360

  • ダッジ・チャレンジャー(1970年の初代モチーフ)

  • トヨタ オリジン(初代クラウンがモチーフ、限定生産)


他にもあると思うのだけれど思い出せない。こうやって見ると丸目が多い。昔のクルマは丸目が多いのだからあたりまえか。最近のクルマは、怒っているデザインというか、つんのめってとんがったデザインが多いのように思うので(これは空力を重視したのだろうが、空気抵抗ってそんなに重要なのだろうか)、丸目で愛嬌のあるデザインが増えるのは純粋にうれしい。

面倒くささを使う

最近、ペットボトルを買わなくなった。厳密には、プライベートでは買わないが、会社では買う。理由は単純で、捨てるのが面倒だから。いま住んでいる自治体では、ペットボトルはラベルを剥いで、洗浄して捨てることになっている。出す日も決まっていて多くはないので、軽い気持ちで買う割には捨てるのが面倒くさい。同様に、シャンプーなども詰め替え主体で、できるだけ燃えるゴミレベルの簡単さになるようにしている(会社の場合、すでにゴミ箱レベルで分別がなされるので面倒ではない)。
これを別の視点から見ると、捨てるのを面倒くさくすることで、ペットボトルを買わなくさせて、エコ活動を増進させるという施策があった、とも言える(実際はそうではないだろうし、ペットボトルが反エコと仮定しての話)。もし「ペットボトルの消費量を減らせ」という指示が来て、仮に私が自治体の担当者で、メーカーに口を出す力はないとしたら、分別を厳しくやればよい、ということになる。これが思いつくかどうか。なかなか難しそうだ。
そういえば潰しやすいペットボトルというのがあったけれど、あれのおかげで逆にペットボトルが増えたとしたら、それはエコなのかな。よくわからなくなってきた。