なにがほんとうか

某リサーチ系の人と話したけれど、「なにが本当なのか」というのを見極めるのは、かなり難しいねというのがあって、これはかなり共感できた。リサーチをやるときには、対象者に聞くというのが一般的にはあるのだけれど、実際に感じたことを対象者が覚えてなかったり、覚えていても気づいていなかったり、気づいていてもうまく言葉にできなかったり、言葉にできそうでもそれをしたくなかったりと、いろいろとノイズが入ってくる。その結果出てきたリサーチの内容のどこを本当のものだと考えるか見極めなければいけない、でもそれはかなり難しい。
不完全ながらもいろいろ手法はある。言葉を介して聞かないというのが複数あって、行動データからだけ読むとか、深層意識探るとか、まあたくさんあって興味深いのだけれど、なんていうか根底にはジゴロ的感性が要求されるような気がする。
ジゴロ的感性というのは、「こいつはこういう風に言っているけれど、実は○○なんであって、それをこういうふうに表現しているんだよ」みたいなもの。ジゴロは女性の発言をそのまま受け止めない。言葉に含まれるノイズを除去していって、結局どう相手が感じているのか推測し、それに基づいて行動を起こす。それがズバッとはまって、相手の女性は感激する、みたいな。ただジゴロ的感性というのはビジネスの意志決定には乗らない(だってそんなの個人の見解でしょ?になる)から、そこらへんをうまくどうやるものか試行錯誤が続いている。
最近は、まず自分をジゴロ的に読み解くことを考える。なにか自分に感想やら意見が出てきたときに、もとの感覚からどうノイズが乗っかってこういう意見として表出しているのかというふうに考えていく。たいていの場合、プライドがノイズとして乗っかっていて、その背景には「こういうことにしておかないと自分にとって都合が悪い」という考えがあり、その背景には防衛本能というか、今までの自分を否定しないように情報を(ほぼ無意識に)解釈しているというのがある。本能が正しく働いている。あるいはそこまで意地が悪くなくても、なんだかよくわからないという状態に耐えきれなくなって、適当な解釈を知っている範囲で乗っけてくるというのをよくやっている。
最先端領域の試行錯誤がうまくビジネススキームとして成り立つまでにはもう少し時間がかかりそうだけれども、自己分析の視点としておもしろいと思った。心理学方面の人とか、こういう興味がまずあって取り組んでいそう。