批判の宛先

日本はピンチだ系の論説、もしくは新聞の社説などで、誰に向けて書いているのかわからない文章がある。なんとなく、政府、総理大臣、官僚あたりを想定しているのかもしれないが、具体的に誰か想定できるかというと難しい。逆に宛先が明確でないということは、見た人が「自分に向けているのだな」と感じなければいけないということであり、コミュニケーションのロスが大きい。実際のところ、なんとなくみんなが誰かに向けて書いてあるんだと認知しながら、でも誰にとっても自分事ではないという、そういうもので終わる気がする。