いじめ考

弱いものいじめとはよく聞く言葉だが、いじめは実は嫉妬からはじまっているのではないかという気がする。弱いけれど、どこかに強さを持っている存在に対して、同様に弱さと強さを併せ持つ存在が嫉妬し、いじめが発生する。貧乏だったり変わっているが(=弱さ)まともに社会生活を送ることができている(=強さ)に対して、嫉妬する。そしてあるタイミングで別の強さを持ち出して(たいてい腕力)相手の弱さを攻撃する。いじめっ子やいじめられっ子は、別環境では役割がよく逆転しているというのは、彼ら個々人が持つ弱さと強さが、アンバランスだからなのかもしれない。
また、いじめが発生する理由といじめが継続する理由は別だと思う。継続する理由は、(いじめている本人でさえも止めた方がいいとうすうす感じているにもかかわらず)いい感じに落ち着く、つまり止めてくれる存在がいないからではないかと思う。ここになると、第三者の目が重要になってきて、傍観されてしまうといじめている方も止められず、続ける役割を演じてしまう。そしてある程度、既成事実化してしまうともうどうしようもなくなってエスカレートしていく。
嫉妬なりエスカレートなりを生むのは本質的にそこに集団があるからで、解決としてシンプルなのは集団を解体してしまうことだろう。また、しかし本質的な、個々人のアンバランスさは残ってしまうので、その弱さと強さのアンバランスを妥当な形に戻してあげられることが重要だと思われる。難しいよなあ。