日本人の議論と修辞疑問文

ちょっと前に、英語での修辞疑問文の話がどこか、ブログで取り上げられていたのだけれど、受験のとき書いた小論文がこんなのだった。あくまで仮説だし、間違っていたらご指摘を。

  • 英語は「テーマ」と「立場」を切り分ける

英語での議論の場合、本人の立場(賛成か反対か)と、テーマを切り分けて議論がなされる。それは、英語の修辞疑問文に端的に表れる。英語の場合、Do you drink?と聞かれてもDon't you drink?と聞かれても「飲みたい」場合にはyesと答える。つまり、相手がどう考えているか(do you か don't youか)ということとは関係なく、テーマ(飲むかどうか)に対して答えるという前提があるから。つまり相手の立場(考え)とテーマについて切り離して考えるということが言葉に出ている。

  • 日本語は「テーマ」ではなく「立場」を先に考える

日本語で上と同じことをやると、「飲みますか?」「飲まないんですか?」という質問になる。これに対して「飲む」と答える場合、「はい飲みます」「いえ、飲みますよ」にわかれる。これは、相手の立場(飲むと考えているか、飲まないと考えているか)に対して答えるためである。

  • 日本語での議論は難しい

日本語の場合は、上記のように、テーマではなく相手の立場に対して受け答えをすることが前提になっている。このような場合、議論が行われると、それは相手の立場(考え)を攻撃するような形になりがちだ。すなわち、否定されると、否定された側は主張ではなく自分を否定された気持ちになりやすいということだ。

  • 外人が議論の後に妙にスッキリしているわけ

もともと言語の時点で、テーマと立場は別物とされている。だから、テーマ上で議論が分かれても、立場の肯定否定とは関係がない。だから感情は害さない。

追記)コメントにて指摘をいただく。この場合、修辞疑問文というより否定疑問文でした。