発見せよ

ドラゴンボールのアニメを元にしたコピペがある。

セル「ちくしょーちくしょー! 完全体に…… 完全体にさえなればー!」
ベジータ「はーっはっはっは!」
トランクス「凄い…… これなら、勝てる!」
セル「ちくしょーちくしょー! 完全体に…… 完全体にさえなればー!」
クリリン「すげぇや…… こ、これならセルにも勝てるんじゃないのか!?」
セル「ちくしょーちくしょー! 完全体に…… 完全体にさえなればー!」
ベジータ「はーっはっはっは!」
(CM)
セル「ちくしょーちくしょー! 完全体に…… 完全体にさえなればー!」
ベジータ「……おい、お前の言う完全体とやらは、そんなにすごいのか?」
セル「そうだ、完全体にさえなればお前などに……」
ベジータ「ほう、本当に強くなるんだな?」
セル「そうだ、完全体にさえなればお前などに……」
ベジータ「…………」
セル「ちくしょーちくしょー! 完全体に……完全体にさえなればー!」
トランクス「……いったい何を話してるんだ?」
セル「ちくしょーちくしょー! 完全体に……完全体にさえなればー!」
ベジータ「おい、なってみろよ。完全体に」
セル「なんだと!?」
ナレーション「いったい、どうなってしまうのか!?」

これ、微妙な違いで別バージョンがある。

セル「ちくしょーちくしょー完全体に、完全体にさえなればー!」
ベジータ「はーはっはっは」
↑(微妙に内容を変え2、3回繰り返し)
トランクス「凄い・・・、これなら勝てる・・・」
セル「ちくしょーちくしょー完全体に、完全体にさえなればー!」
ベジータ「はーはっはっは」
クリリン「すげぇや・・・、こ、これならセルにも勝てるんじゃないのか・・・?」
セル「ちくしょーちくしょー完全体に、完全体にさえなればー!」
ベジータ「はーはっはっは」
(CM)
セル「ちくしょーちくしょー完全体に、完全体にさえなればー!」
ベジータ「はーはっはっは」
ベジータ「・・・・、おい、お前のいう完全体とやらはそんなにすごいのか?」
セル「そうだ、完全体さえなればお前などに・・・!」
ベジータ「ほう、本当に強くなるんだな?」
セル「そうだ、完全体さえなればお前などに・・・!」
セル「ちくしょーちくしょー完全体に、完全体にさえなればー!」
トランクス「いったい何を話してるんだ?」
セル「ちくしょーちくしょー完全体に、完全体にさえなればー!」
ベジータ「おい、なってみろよ。完全体に・・・。」
セル「なんだと?」
ナレーション「いったいどうなってしまうのか?」

違いはおもに、「↑(微妙に内容を変え2、3回繰り返し)」という部分があるかないかだ。正直、ないほうが面白いと思う。これがどういうことかと考えると、加えた一文はおもしろさの解説を先回りしてやってしまっているということがわかる。このコピペは、ドラゴンボールのアニメは、原作を追い抜かないようにダラダラ進む展開が多くて、そのために変に繰り返しが多かった、そのおもしろさを思い起こさせる効果を持つ。この場合のおもしろさは、それをじわじわと読む側が発見していくことにある。しかし前半で「↑(微妙に内容を変え2、3回繰り返し)」とやってしまうと、発見すべきおもしろさを解説してしまっており、このことが無粋でおもしろさを減じていると思われる。こういう技術は広告表現開発なんかにも通じるところがある。が、クライアントにはなかなか理解してもらえない部分でもある。直接言ってしまってはいけないこともある。