コミュニティの閉鎖性について一考

その意味で、mixiは「上からの閉鎖性」はあるが「下からの閉鎖性」は全く存在していない*5ため、「独自の文化が生まれる」という面白さもない代わりに、帰属意識の発生もなく、だから衰退することもない*6。mixiが閉じて見えるのは、それはmixiが「現実の延長線上」として機能しているからであり、インターネット独特の要素(不特定多数云々)がかけているからだ。ただ単に、インターネットの特徴である「無限の広がり」が存在しないから、現実の関係がそのままネットに持ち込まれているから、そこに僕たちは「ネットなんだからもっと広がりがあってもいいはずなのになんで」と違和感を抱き、あるいは日常ではセグメント化されている関係性が「実社会」の名の下にフラット化されることで、別種の閉鎖性を認識するのである。(何がサービスを閉鎖的にするのか−Thirのはてな日記

論旨に賛成であるが、閉鎖性の生まれ方について少し違う見方を持っていたので書いてみる。コミュニティはネタ(肴)を通じて循環していく。その肴がどのくらいオープンなものかということが(外から見たときの)閉鎖性に影響する。それこそ教えてgooみたいにほぼ誰でも参加できるネタは閉鎖性が低い。一方オタク系スレのように、肴(ネタ)がマニアックな内容になればなるほど閉鎖性が高まる。いわゆるクネクネが最高に閉鎖的に見えるのは、特定の話題だけではなくて参加者の人格を肴(ネタ)にするからだ。参加者の人格は時間軸を経て認知されているので新参者には最もわかりにくい。mixiも同様の構造があって、そこで話題になっているネタが現実に紐づくものであると第三者にはアクセス不可能なので閉鎖性が高い。ってのはどう?