天才の中に住む一般人

対象が何であるにせよ、いわゆるプランニングを行う作業では、仮説構築というのが重要だという。これは、とりうる手数、起こりうる場合をすべて挙げていくと、天文学的な、人間の想像を超えたパターンを扱わなくてはならないからだろう。で、よく、「自分が楽しいと思えるものを作った」と成功談で聞くのだが、これは自分フィルタをかけた仮説を実行しているのだけれど、この場合はその「自分」が何であるかがポイントになると思う。というのは、この場合の「自分」は、一般的に思われるような天才的な個性的な自己の部分ではなくて、もっと遡った、人間一般としての一般人の自分ということで、それはおそらく自我と切り離されたところにあるのだろう。その切り離された自我が「楽しい」と思ったことを実行するのであって、その切り離され具合で、その作品を楽しめる人の母数も決まってくるのではないかということだ。で、天才的なプランナーというのは、その切り離された「究極の一般的な自己」というものを必ず持っていて、それはかなり意識し訓練さえつめば、手に入れることができるのではないかと思うのである。うわ、なに言ってるか分からん。