代理戦争としてのけんか、あるいは言論対立

あるカップルに、過去にしたけんかの話を聞いたところ、「けんかってたいていお腹がすいているときか、待ってるときに起きるよね」という意見。けんかの原因って「ささいなことで・・・」とかよくいうけれど、けんかの原因はそれそのものであることはほとんどなくて、それ以前、もしくはそのときの環境から起きている不機嫌みたいなものが底に流れているのだという話だった。あたりまえっぽい話ではあるけれど、けんかや対立に対処する・それらを解決するときの大きなヒントだと思う。けんかそれ自体の原因にいくら真摯になってもダメな場合があるということだ。拡張すると、言論の対立とかの場合にもこのような状況はあると思う。言論対立をえんえんやっても解決されない場合とかは、たいていそこでテーマになっていることで対立しているのでは実はなくて、個人(どちらか、あるいはどちらも)の生活状況への不満みたいなものが先立っている。だから、それが解決されない限り理屈がどうなろうと解決しないのだと思った。身も蓋もない。