普段は読まない「週刊現代」を読んでみた


折に触れて「自分は年を食ったら演歌を聴くようになるんだろうか?」ということを思う。いまのところ、まだその様子はない。それと同じように、もう少ししたら週刊現代を自分は読むようになるのだろうかということを考えた。
週刊現代はたしか、「働きマン」の原型だったはず。内容はカネ・政治・スポーツ・オンナ。スタンスは基本的に叩く・煽る・暴く。これは、ネットなどでも同じだ。引きのある感じに最適化すると、方向のひとつはこうなるということだろうか。
読んだのは1/24号。コンビニで買ったが、なんか買うのが恥ずかしい。表紙が派手すぎやしないか・・・。今回はあえて買ったが、普通に買うとしたら、目的がどうというよりも、暇つぶしな感じで買うだろう。移動時間とか、待機時間とか、そういうときだ。グラビアを家では読まないだろう(家族とかいるし)から、一人のそういう時間が週刊現代の需要の母数になっているはず。変に無線インターネットが格安端末とともに普及すると、壊されてしまうかも。あ、ケータイがそうか。陳腐な発想だが、こういう雑誌はある程度ケータイに食われてしまうのではないか。コンテンツの質にかかわらず。
加えて気になったのは、情報そのものよりも、そのメタ情報が気になることだ。つまり、その記事を書いている人はどの程度/スタンスの人なのか。その記事について、みんなどう思っているのか。そういうメタ情報がすごく欲しくなる。このあたり、2ちゃんやブログ、ソーシャルブックマークがあるネットに勝てなさそうだなあという気がしてしまう。
コンテンツの質って重要ではあるけど、商売のことを考えれば、ほかに重要なことがいっぱいある。良心的な編集者はコンテンツの質を重視するし、それを応援してあげたいけれど、でもこれから厳しくなるんじゃないかと思う。