目的と方法

実家に帰ったとき、クルマで親戚の家に行った(正月なので)のだけれど、親との会話ってそういうときにうまれるのかなと思った。家にいてもあらたまった話はしない。してしまうと、会話と人間だけになってしまって、濃すぎる。他人の家に行く途中のクルマの中みたいな、割とどうでもいいシチュエーションで生まれる会話が重要だったりする。食事のときの会話とかもそうなのかな。間が空いてしまって(つまり会話よりも先に間があって)、なんとなくしゃべるか、みたいなときにだけ出てくる話題があるというか。こういう会話ってケータイとかで再現可能なんだろうか。用がなくても電話する習慣があれば実現できそうだけど、自分はその習慣が身につかなかったなあ。目的があって方法がある、っていう一方通行の考え方しかできなかったから。方法があってからはじめてでてくる目的というものもあるのかな。