コミュニケーション下手について

自分は明朗快活でもないし口数も多い方ではないのだけれど、コミュニケーション下手というのを思うとき、そういう風に評される人というのはなんていうか、人間あるいはその生き方に対する無意識の信念のところで、たとえば「人は自分のことを好きではない(はずだ)」みたいな刷り込みがあるのではないのかと時折思うことがある。そしてそれを本人も気づいていないというか、気づかぬままにそれを確認するような行動を取っているというか、そういう習性を持っているように見えることがある。不勉強なのでそういう構造が人間にあるのかどうかはわからない。どた勘で言うと、それは環境によってすり込まれているような気がするし、そういう無意識の刷り込みから(人格改造レベルというわけでなくして)自由になるような、プラグマティックなプログラムがあっていいと思う。でもそういうのって自己啓発プログラムとかになってしまうのかな。この辺へのスタンスの取り方が難しいと思う。