ひろゆきさん

年上なのでさん付けにしてみた。彼の著作がまたおもしろいので、最近読んでいるが、彼の思考回路みたいなものが気になる。とりあえず最近読んだ「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」からいくつか。

僕の見立てでは、Web2.0と言われるサービスは、技術的に見ても今までと何も変わっていない。

割と技術ベースで物事を見る傾向が。これは意外だった。自分の考えではWeb2.0マーケティングワードであり、名前が付いていることを多くの人が疑わない以上はなんらかの概念的くくりが発生している事は事実だと思うのだが、そういう見方はしないで、あくまで技術的に切っている。頭の悪い表現をすると理系的。そのへんがバックグラウンドなのかは不明なのだが、彼は「人」というものへの信頼度が低いと思われる。だから、はてブ(=人による投票)あたりも知の判断システムとしてはあまり信用していなくて、

受け売りですが、あるブロガーが書いた、「ガリレオ・ガリレイの時代に集合知があっても、地球が回っているということにはならなかった」

このあたりの考え方が好きなんだと思われる。彼は、あまり希望的な意志や倫理的観点、ひいては人的な「知力」を重要視していないのだろう。それを信頼していないのがベースにあって、それ以外でのシステム構築をいかになすべきか、ということを気にしている。より踏み込んで言うと、人間の判断能力に限界を見ていて、むしろそれを規定しているルールに注目している。だから「身も蓋もない」と評されるのだろう。

インターネット関連のニュースが報道される理由は、ただ他のニュースがなかっただけとも考えられます。

おそらくこのあたりが本質で、彼は「人間は怠惰が基本であって、道徳やら法律やら市場やらアーキテクチャーやらその都度のルールによって縛られた結果が現実という出力結果である」という世界観を持っているのだろう。あるいは「みんな力の強さばかり気にするけど、強い力を方向付けする『ついたて』が重要だよ」みたいな感じか。だから彼の興味は怠惰であるところの人間自体よりも、それを規定し方向付けするルールに向かう。そうすると(彼の考えるところの)怠惰である人間自体に希望を見出す人たちとはあまり合わない。だいたいの場合においては、彼は現象を見たうえで、なんのルールによって規定されている/されるべきかを気にする。ちなみに彼は「企画」というコトバをよく使うし、彼自身も自分を企画屋だと自認しているようだが、彼にとっての企画とはルール作りのことだろう。

そのうえで最終的には、チャイルドポルノと同じように、コントロール不能なものが世の中には存在してしまう、という考えに行き着きます。

彼はこのケースにおいて、市場原理(というルール)に限界はあるが、法律(というルール)でも規定できない、と適用ルールの選定を行っている。ここではアーキテクチャーの話は出てこなくて最終的には市場という話をしている。なお、彼は道徳はあまりルールとしては認めないようだ。そこらへんに彼の現実主義者っぷりが見える。なお見た限りでは、彼の中でのルールの強さは、市場>法>アーキテクチャー>>>(越えられない壁)>>>道徳、といった感じである。
ちなみに本人のモチベーションはなにかというと「好きなことを行うにあたって、面倒くさくない」とかそのあたりなんだろうけどいまいち不明。美的感覚みたいなものがどのように彼の中に存在するのかもよくわからない。逆説的ではあるが、彼は「人の力」を小さく評価しつつも、その一方で非合理に「力」を出し続けるひとに興味を向けている。おそらく、よくわからないからだろう。

孫さんという方を見てみると、すでに無茶をしなくてもいいポジションに就いているはずなのに、絶対守りに入らないという姿勢を感じます。

ひろゆき氏は孫氏をある種の病気ではないかと見立てている。いずれにせよ、彼はハングリー精神が異常な人を興味深く、若干の好感を持って眺めているようだ。
と、ここまで書いてなんのために書いたのか、どうまとめるのかも完全に謎になってきたが、個人的には、切込隊長氏とのタッグがどういう効果をもたらしたのかも気になっている。切込隊長氏は政治学方面がバックにあるのか、非常に人間関係的側面から物事の筋を読んでいく人だと思っているけれど、二人の間にはある種の補完関係がありつつも、交点がなかったのではないかとも考えられる。この辺ももう少し考えとく。