萌えの本質(試論)

萌えの定義を以下のものとする。
「ある目的を持って行動するものの、行動の型(文法)に制限を受けている状態に対して人は萌える。」
以上の定義が正しいとすると

  1. 天然な性格の人がうまくコミュニケーションを取れない(ことが受ける)のは萌えである。
  2. ツンデレなど、本人の性格によりうまくコミュニケーションが取れない(ことが受ける)のは萌えである。
  3. 制服によって自己表現が抑制されているのは萌えである。
  4. 本人は必死だが、日本語が下手なため変な日本語になっている外人(が受ける)のは萌えである。→これは日本女性が海外の男性に受ける理由だとする説がある。
  5. おばあちゃんなどが文明の利器(携帯電話など)をうまくつかいこなせないのは萌えである。


萌えって抑制の文化なんですかね。
それで、現代は抑圧よりも開放へのベクトルが強いため、自然と萌えを成立させる要素は弱くなっており、需給の観点から、萌え問うのものが希少価値を持つようになってきているのではないか・・・という駄弁を弄したい気分です。