いじめ考

弱いものいじめとはよく聞く言葉だが、いじめは実は嫉妬からはじまっているのではないかという気がする。弱いけれど、どこかに強さを持っている存在に対して、同様に弱さと強さを併せ持つ存在が嫉妬し、いじめが発生する。貧乏だったり変わっているが(=弱さ)まともに社会生活を送ることができている(=強さ)に対して、嫉妬する。そしてあるタイミングで別の強さを持ち出して(たいてい腕力)相手の弱さを攻撃する。いじめっ子やいじめられっ子は、別環境では役割がよく逆転しているというのは、彼ら個々人が持つ弱さと強さが、アンバランスだからなのかもしれない。
また、いじめが発生する理由といじめが継続する理由は別だと思う。継続する理由は、(いじめている本人でさえも止めた方がいいとうすうす感じているにもかかわらず)いい感じに落ち着く、つまり止めてくれる存在がいないからではないかと思う。ここになると、第三者の目が重要になってきて、傍観されてしまうといじめている方も止められず、続ける役割を演じてしまう。そしてある程度、既成事実化してしまうともうどうしようもなくなってエスカレートしていく。
嫉妬なりエスカレートなりを生むのは本質的にそこに集団があるからで、解決としてシンプルなのは集団を解体してしまうことだろう。また、しかし本質的な、個々人のアンバランスさは残ってしまうので、その弱さと強さのアンバランスを妥当な形に戻してあげられることが重要だと思われる。難しいよなあ。

色つき言葉

文章を読んでいると感情をざわっとさせる言葉が出てくることがある。たとえば「しょせん(所詮)」とか、すでに価値判断っぽい内容が含まれている言葉。ちょっと切り口は違うけれど、配布を「ばらまき」と書くのも同じ。ネガティブ方面だけではなくて、繁栄とか、平等とか、水戸黄門の印籠みたいに、内容の詳細はわからないけど漠然と良いイメージの言葉も同じ。要は、色のついている言葉。文章の中にこの「色つき言葉」がどのくらい、どういう配分で出ているかによって読者の印象や、文章に対する意見が変わってきそう。自動的にバババッと、それこそ単語に色をつけてくれるプログラムとかあったらおもしろいだろうなと思う。

決定的な情報

風向きを変える、決定的な情報というものがある。商品購買においても、決定的な情報というのが何かというのは重要なことだ。たとえば、ある企業がコーポレートブランドのマークを作ろうとした。表現したいものは会社の熱意である。そしてその会社は火を扱う仕事をしている。たとえばこんなとき、アイデアとして炎をマークにすることになった。色はどうするか。当然、赤やオレンジの案が出るが、そこでこんな情報を出す。「いちばん熱い炎は、青ですよね?温度が高くなるほど、赤から青になっていく」この情報のあとでは、かなり青が選ばれやすいだろう。そしてさらに決定的な情報を出す。「ロゴというのは他者が見るためのものです。重要なことは、他者から見て熱そうに見えるかどうか、です」これで再び赤が選ばれるだろう。
さいきんはメディアの話を聞くことが増えた。メディアは数値化しやすくなり標準化され、それにしたがって議論もしやすくなってきている。「いつ」「どこで」そのメッセージを出せばいいのか。たしかにそれは大切なこと。しかしそれは半分。いつ、どこで、「何を」だすのか。そこにも決定的な何かがある。

早廻しとスローモーション

ある種の映像は、スローモーションにすると何故か味わい深くなる。昆虫の脱皮とか雲の動きとか、もともとすごくゆっくり進むものは、早廻しにすると味わい深くなる。人が感知する情報量には心地よい領域(時間×変化量)があって、あまりにも多いと感じにくいし、あまりにも少ないと退屈してしまう。世の中の動きの多くは、実は情報量が多すぎるので、スローモーションにするとちょうどよくなって、心地よいのかもしれない。

Twitterの思想

そういうものがあるのか知らないが、あるとしたらで考える。Twitterの思想は「目的志向でないWeb」で、検索(Googleとか)の思想と対立するもの。検索は究極の目的志向で、中央集権で、効率が先に立って、それによって価値を生み出すもの。Twitterは逆に、最初の目的はなく、分散で、ただ熱量の高い場所をまず生み出してそこから可能性を拾い出すというもの。目的と手段を逆転させた感じ。だから、ユーザーが目的志向になってしまうような要素(中央集権に近づいてしまう一覧性、序列が生まれるランキング、それを生み出す発言評価、そして検索など)を重視しない。とにかく無目的に、ただし熱量を持って活動してもらう、そこから素晴らしいものが生まれる。いってみればそれは「場」ということだろうし、コミュニケーションの本質の一つであるように思うし、イノベーションを生むための考え方にも近い。場ということだと、2ちゃんねるに近いように思うけど、これはアメリカ人の考えた、顕名としての2ちゃんなのかな。

経営者の気持ち

一念発起して予算を投下し、バージョンアップ。メモリも増やしたから余裕だと思っていたら、なんだか無駄にメモリを食うプログラムが増えていて、ふざけんなという気持ちになりつつも、確かにアウトプットは以前よりよくなったという気もするし、でも冷静に考えると費用対効果は下がっているだろうという気がしつつも、それを検証するうまい手だてもないので、結果として漠とした不満がありつつ新体制を見守るという感じ。これは、Windowsの話。でも、会社の経営者もこういう気持ちになることが多いんだろうな。

どれだけ俳句・川柳は募集されているのか

俳句・川柳っぽい広告、言い換えると「あるあるネタ」広告というのは一定の需要があるのか、たまにみかける。体感値としては、増えている。広告を見てくれる人がどんどん減っている(というふうに言われている)現況においては、あるあるネタというのはかなりの鉄板であり、商品につながるかどうかは別として人気がある。缶コーヒー「Roots」の広告とかはこれ系だと思う。そこからつながり、ナントカ俳句・ナントカ川柳の企画というのが企業発でよく見られたりする。これ、どのくらいあるのだろうか。

まだまだある。やっぱり多い。力尽きた。できるだけ継続開催されているものを集めたけど、単発キャンペーン系、小規模個人系だとおもしろいものが多い。「コラーゲン鍋川柳」とか「アンチエイジング川柳」とか「ワーキングプア川柳」とか、そんなにテーマを狭めて大丈夫なのかというものも。あと、俳句のほうが格式高く難しいからなのか、企業キャンペーン系は圧倒的に川柳が多かった。それと、川柳を探し始めたらこのようなブログに遭遇。

先週の公募川柳の発表は筆まめ川柳最優秀賞、訳あり川柳、ビートルズ川柳、いのちと献血俳句、フォト575、墨族川柳、大掃除川柳の7件であった。8、9月の募集ピークの発表が終わり発表数も一日一件のペースに落ち着いてきた。(中略)先週の公募川柳の募集はフォト575、さんてつ川柳、スッキリ川柳、エコロジー標語、恋のフレーズ、塗装川柳、柔道応援川柳、ランラン川柳、恋する川柳の9件であった。(中略)個人情報保護川柳は応募句のあまりの多さに急遽選者を募集した。選者に応募したがこれもまた応募者が多く、選ばれなかった。(川柳をかじる

世の中広いです。